国際連合と国際協力

勢力均衡と集団安全保障

 第一次世界大戦前における安全保障の方法として、一般的に認められていたのは、勢力均衡の方式であったが、集団安全保障の方式は、この勢力均衡のもつ欠陥を克服する目的をもって登場してきた。
勢力均衡の方式は、潜在的な敵対関係にある国家あるいは国家群相互の力のバランスを維持することによって、おたがいに相手を攻撃しえない状況をつくり、それによって安全をはかろうとするものである。
しかし、この方式は戦争を全面的に否定するものではなく、基本的に対抗する諸国家が軍事力のうえにかろうじて平和を保っているのすぎないためバランスのくずれる危険性を常にもっている。
これに対して、国際連盟・国際連合の基本原理となった集団安全保障の方式は、対立関係にある国家も含めて、関係国すべてがその体制に参加し、相互に武力いよって攻撃しないことを約束するとともに、約束に違反した国家(侵略国)がある場合には、関係国のすべてが共同して集団の力で侵略国に制裁を加える。
また、そうした体制をつくることによって、侵略を未然に防止しようとするものである。しかし、この方式も具体的な適用の段階になると、安全保障理事会で拒否権がしばしば行使されて、侵略国の決定が困難となり、有効に機能する安全保障体制とはならなかった。冷戦が終了し、今日あらためて国連による安全保障機能の確立と実効が現実味をもつようになってきた。

国際連盟の成立と崩壊

 第一次世界大戦後、アメリカ大統領ウィルソンの提唱によって創設された国際連盟は、おもに安全保障、軍備縮小、国際裁判の確立という三つの目標をもっていた。
 こうした国際機構による平和の思想は、フランスのサン=ピエールの『永久平和の草案』やドイツの哲学者カントの『永久平和のために』などにあらわれている。
 しかしながら、国際連盟は、会議の議決が全会一致制であったので、会議の運営が難航し、しかも、侵略国に対する制裁手段が有効に作用しなかった。また、議決も勧告を限度とし、加盟国を直接拘束するものではなかった。さらに、提唱国のアメリカや当時革命後まもないソ連のような大国が加盟していなかったこと、日本・ドイツ・イタリアが現状打破を唱えて脱退したことなどにより、平和維持の機能をじゅうぶんに果たすことなく、第二次世界大戦の勃発ともに事実上崩壊した。

米ソ両大国の不参加

 アメリカは、国際連盟設立の提唱国であったにもかかわらず、アメリカ議会(上院)の反対により国際連盟に参加しなかった。
また、ソ連は日本・ドイツの脱退後、1934年に加盟を認められたが、1939年12月のフィンランド侵攻を理由に国際連盟から除名された。